“Dignity of the human 人間の尊厳”
http://njcfa.blogspot.com/
─ 開設の意図 ─
 第二次大戦期に旧日本軍の“ウサギ狩”等により連行・収容された中国人は、41,762人にのぼる。1943年4月から1945年5月にかけ、うち38,935人が日本に移入され、国内135事業所において強制労働に就かせられた。
事業場内死亡者 5,999
船上死亡者 564
上陸後死亡者 248
帰国乗船前死亡者 10
残留者死亡者 9
死亡者合計 6,830
行方不明者 51
 左表は日本移入に係る死亡者及び行方不明者。移入者の約18%が死亡ないし行方不明となった。
 〔出所:1946.3.1 外務省管理局作成「華人労務者就労事情調査報告書」〕
 新潟県においても、新潟港、赤谷鉱山その他で約1,600余名の人たちが働かされ、そのうち約190名の人たちが犠牲となった。
 〔出所:1953.6.19 新潟地区中国人俘虜殉難者慰霊実行委員会作成「中国人俘虜殉難者(新潟地区)遺骨送還名簿」〕
  
 “中国から新潟に強制連行され、終戦直前に広島で被爆した張文彬さん(中国湖南省長沙市在住)が24日午後、最初の訪問地広島から48年ぶりに新潟入りした。<中略>張さんは、黒の人民帽に濃紺の人民服姿で、大阪から新潟空港に降り立った。<中略>同行の二男・張一憲さんらとともに、新潟県日中友好協会の今野正敏さんら数人の出迎えを受け、満面に笑みを浮かべた。<中略>「新潟では飢えと寒さで苦しんだことがまず頭に浮かぶ。その苦労は一口には理解してもらえないと思う」と淡々と語り、「私がどうやって新潟に連れて来られたのかを証言したい」と訴えた。<中略>25日は、過酷な労働を強いられた新潟港を視察して、当時を知る日本人労働者と交流する。26日は、新潟市の万代市民会館で市民グループ主催の集会に出席し、強制連行の実態を語る。張さんは1944年9月に中国河北省から新潟に連行され、半年間荷役作業などをした。その後、抗日容疑で広島刑務所に送られ被爆。終戦後すぐに帰国したが、いまだに後遺症に悩まされている。広島では連行された中国人として初めて被爆者手帳を取得。広島での精密検査で大腸にポリープが見つかったため、28日の帰国延期もあり得るという。”
〔出所:1993.5.25 「新潟日報」〕
 BLOG “Dignity of the human 人間の尊厳”は、張文彬さんを新潟にお呼びした過程や張文彬さんの回顧録、そして新潟港中国人強制連行損害賠償請求訴訟の経過から、“人間の尊厳”とは何か、平和と発展のために何を為すべきか等を学び取ることを目的に開設しました。